愛よって雪の女王も言ってた

 

 

 ああ、私は土俵にあがれてもいないのだ、と思う。

 

 

 今年の1月末から始めたこのブログは、気付けば開設して半年以上が経ち、記事の数も50件を超えた。世間一般の“ブログ”の意義だとか、そういうものはよく分からない。むしろ、分からなかったから始めた。だって、『思いは言葉に。』ですから。その言葉にまんまと乗っかってしまった。

 

 気付けば社会に出て半年近くが経つ。なんとなく浮き足だっていた学生時代とは、全く違う。というか、違うようになってしまった。保険がどうとか雇用がどうとか、お小遣いは貯蓄に変わり、現実が浮き彫りになるというか、生活が冷たくなっていくような感じ。

 

 もう、逃げたくて逃げたくてたまらない。向いてないなあ、とか、才能ないんだろうなあ、とか考えて、身も心も自ら捩っているような気がする。実際そうだ。

 

 学生の頃からよく思っていたのは、「みんなどうやって生きてんの?」ということ。勉強でも、労働でも、恋愛でも。誰かの真似でもいいから、どうにかして救われたいと思っていた。よくある「誰かと一緒はイヤ」みたいな気持ちがないこともなかったけれど、そんなことより救われたかった。捨てていないようで、プライドなんてとっくにゴミになっていたと思う。

 

 地元を出て、久しぶりに会った人たちはみんなあたたかかった。距離が離れているからこそ愛おしい、っていうのもあるんだろうけど。でもそのおかげで、今側にいてくれる人たちの必要さが分かる。優しさも分かる。大切にしたいと思う。

 

 とっとと幸せになろ、くらいの気持ちでいればいいんだと思う。働いて、お金をもらって、好きな人に会う。美味しいものを食べる。なんにも頑張りたくない。頑張れとも言いたくないし、言われたくもない。ただ、楽しいことや好きなことには全ての力も、時間も、愛も注ぎたいわけです。それが世間一般の“努力”なのかもしれないけど、そんなことに振り向くのは野暮な気がするのだ。

 

 愛がない人になるのだけは御免だ。それだけはずっと揺るがない。無意識に人を傷つけたり、知らず知らずにあらゆる暴力を振っている人間は山ほどいるし、もしかしたら、私もそのうちの1人なのかもしれない。それが酷く悲しいのだ。でも、このままだときっと、私は確実にそうなる。

 

 あとに戻れなくなる前に、今やるべきことを。傷つけられたら泣いてもいい。ちゃんとしなきゃと思っているのにちゃんと出来ないのは、私が私を悲しくさせているからだ。甘いね、ダメだね、全然でしょ、そう言われることが分かっている。このままだと本当に冷えて、動けなくなってしまう。救ってあげるからね。