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夏の夜、冬の朝

正直者はバカをみない

言葉は本物のために

 

 

「情報ツールを上手に活用し自分のしたい事をどんどん発信していくのが吉」なんて、新聞記事の隅にあったしがない星占いに踊らされている。 

 

 

 

 

私には、つい最近まで「情報を発信する」という行動に対して嫌悪感みたいなものがあった。他人の評価や温度を持たずに投げられる言葉に、異常なくらいの苛立ちを感じて。

 

発信したい情報なんて無い、簡素な繋がりなんていらないと思っていた。みんなと同じようなことをしても限界がきて、すべての情報ツール・コミュニケーションツールを遮断するなんてしょっちゅうだった。つまりは音信不通。しかも私には独りの時間に重きを置きすぎる癖があって、思い詰めて引きこもりがちになることが多かった。

 

 

17歳で彼氏がいたときもそんな状況に陥った。その時は丸一日以上、ケータイを放置した。電源をつけて、何十件という連絡がきていることに気づいた時の罪悪感は、今でもはっきり覚えてる(当時は学生で、それがカップルの命綱だったことを理解してほしい)。彼氏は私の親友にまで私の“生存確認”をしていて、「ごめん~、全然携帯見てなかった!」だなんて、親友にも笑って嘘をついた。今だから言える話です。

 

 

私にはそういうコンプレックスがあったんだと思う。孤独がなきゃ自分を保てないという劣等感。どうにかしたい、もう嫌だ、と思っていたのに変えられなかった。ラクだったからだと思う。皮肉になって、人間みんな自分が一番、私が私を卑下していれば誰にも傷つけられなくて済む、とさえ考えていた。

 

でもやっぱり、ひとりぼっちも嫌だった。寂しくて、悲しくて。不幸でい続けるのはラクだけど、漠然とでも幸福でありたかった。矛盾だらけ。青かった。

 

 

言葉が好きだと思い始めた時期のことは、もう覚えていない。そこに執着した。落ち込んで独りでいるときは、とにかく言葉を貪った。偉人の名言から、自己啓発本のタイトル、好きなバンドの歌詞、人気ブロガーの記事まで。とにかく何でも吸い込んだ。とにかくペンを動かした。そうすることで、自分を慰めていた。

 

けど、そのうちまた限界が来て、自分の行動は何も意味がないと感じ始める。他人の言葉を盗んだって、私は私で、何も変わらないんだ。

 

 

 

 

言葉が好きだ。けどそれは、本物の言葉であることが大前提。

 

本物は良い。洗練された、何にも混じらない本物。もしくは深い深い奥底、根底にある本物。

 

 

情報が発信しやすい世界になった。みんながみんな、一言物申したいと思っているようにさえ感じる。こうして私が文章を残しているのも、もしかしたら「その程度」なのかもしれない。でも私は言葉が好きだ。本物の言葉が好きだ。その気持ちだって、本物だと思いたい。

 

コンプレックスは欠陥なので、自分で手をかけてちゃんと補っていかなくちゃいけない。そのための自己研鑽。本物のために、言葉を使いたい。