逆設計

 

 

「ロッキングチェアーの上で猫を抱いて死にたい」という目標があります。そこからの人生逆設計。前提として60歳までは生きていたいと思う。

 

 

 

60代。和服も洋装も着こなせること。ピアノをずっと弾けること。子どもたちに絵本や素話をしてあげられること。贅沢はいらない、シンプルで気に入った家・食事・残したい人間関係。図書館に通えるくらいの健康体でいること。

 

50代。“美魔女”なんて野暮なものにはなりたくない。「いいよね」と言われるおばさんであること。全ての物事に悪態つかない。今まで手にいれてきたお気に入りの服・装飾品・家具・人間関係を大切に扱うこと。それまでの仕事を続けていてもいいけど、人と関わる仕事も出来たらいい。ボランティアの一環でもいいかもしれない。

 

40代。ずっと追い求めてきた好きなことに自信を持つ。「私がやってきたことだから」と胸をはりたい。「かっこいいな」「綺麗だな」といわれる女性であること。自分が選び抜いてきた好きなこと、お気に入りにも自信を持つ。そろそろ決まってくる頃。

 

30代。やってみたかったこと、挑戦したことに真摯に向き合う。反省して、挑戦を繰り返す。自分の生活の軸を持つ。好きなことやお気に入りを集めて、体現する。積極的で、謙虚であること。「可愛らしい」だけじゃない大人になる。

 

20代。やってみたかったことに挑戦する。自分で生活する力を付ける。より多くの好きなことに気付く。その中で、お気に入りをたくさん見つける。より多くのことに挑戦する。成功と失敗なんて分からない。あるのは行動と結果だけだ。とにかく行動、それから続けてみること。“意味のあるもの”にちゃんと向き合う。そうして学ぶ、覚えていく。

 

 

 

事細かなことは心の中だけにとどめておくけど、全体的な展望。こうして並べると、20代からスタートした方がいいに決まってる。何もかも。何もかも、だ。

 

合ってるか間違ってるかは考えたって分からないよ。今の自分に出来ることを行動に起こしていくのみ。何度だって言う。いつだってここからだ。

 

 

 

日の出

 

 

f:id:silk_and_green:20180121133229j:image

 

 

「あなたに負けて悔しい」。そう思わせてくれる人と一緒になって、いろんなものとたたかい続けたい。エゴも承認欲求も流行も蹴り飛ばして、どうか永遠に駆け抜けてね。何事にも揺るがないその眼が好き。貴方になんて勝てっこないし、貴方は私に勝てない。貴方に負けて悔しいし、貴方は私を認めてる。変わらないために変わり続けて、ずっとずっと側にいて。

 

 

 

「そんなこと言わないで」

 

 

根拠の無い自信、について話そうと思う。私はこれがめちゃくちゃ強くて、大人になって、ふと冷静になるとどうしてそう感じるのか不思議でならない。これが大人になったってことかもしれない。

 

 

 

苦労しないで生きてきた。就職試験で「挫折したことがありますか?」という問いに対してある程度の答えは準備していた。でもそれは“ある程度”だ。「所属していた部活で上下関係に悩んで」だとか「進路選択で夢を追いかけたくて」だとか“考えた”ことによって挫折したことはある。でもそれはただの迷いだ。予期せぬ何事かが起きて、突然落とし穴に落ちるような挫折。そんなの経験したことがなかった。

 

緩やかに挫折しているような気がしていた。つい最近の話だ。もしかしたら今も尚、それは続いているのかもしれない。これで合ってるのだろうか、そもそもあの選択をしていた時点で間違っていたのかもしれない、そう思う、そう思うことが出来る、いつだって。でも私はそうじゃないし、そうじゃいけない。

 

ゆるやかに挫折をしていた(と振り返れば思う)頃、私は本当に私が嫌いだった。いつ死んだっていいと思っていた。「電車に撥ねられてもいい」、「車が突っ込んできてもいい」、「足を滑らせて頭を打って死んでも構わない」。本当に本当にそう思っていた。意味が無かった。何もかもに意味が無かった。働く意味、食べる意味、寝る意味、生きる意味。本当にすべてまっさらで、途方もなかった。でも、そんな私を唯一救ったのは、“私は本当に私が嫌いだ”ということだった。

 

こんな話をすると、友人は何で?と言ったし、家族は何言ってるのよと笑った。私がふざけてると思ってくれたんだと思う。けど唯一、「そんなこと言わないで」と本当に、本当に哀しい目をした人がいた。その目を見て私は、「どうしてそんな目をするのよ」と思った。誰も救ってくれないじゃない、なんでそんなこと言うのよ、てか私は何を求めてんだ、助けてくれる誰か?違う、私を救いたいのは、私だ。

 

 

 

家族も友人も恋人もいるけど、私は私と生きていきたい。今はそう思う。誰に裏切られても、傷つけられても、私はいつだって私を救ってあげる。それが、私の根拠の無い自信。

 

 

 

帰り道

 

 

こんばんは、明日も明日とて仕事ですが金曜の夜は何となく元気になります。気が楽になるというか、ああ、ちゃんと終わったな(終われそうだな)という感じ。

 

無駄をそぎ落とすべく身の回りを色々見直してるけど、やってみたいこともやりたいことも多過ぎるな。抜いたところに新しいものを入れるのは、相当きもちいい。見直したことで無駄だと思っていたものを案外気に入ってたことに気付いたりして、すこし楽しいです。

 

晴れ女だ。私に哀しいことがある時は雨が降っていることが多い。この前どん底まで落っこちたとき、外では静かな雪がたくさん降った。何もかもに意味を持たせようとするのはかなり子どもっぽいな、と思うけどたまにはいい。そうやって独りよがりになったりしながら、また笑うから。

 

 

 

ストレート

 

 

考えてばっかりだから分かんないことの方が多いの当たり前だ。文章にもならないな。

 

意欲はあるのにどうして停滞してんだろ。言い訳ばっかり探してダメなヤツだな。

 

どんどん置いていきたい。過去の私も、要らない思考も、私と同じ位置を走る目に見えないひとたちも。言葉に塗れて、思考に塗れて、私は私をやり切っていたい。やり続けていきたい。

 

とにかくやってみる。最初の一歩だからこそ気楽に、気軽に。あとのことはあとからだ。

 

 

 

事変

 

 

「精神パンクスだからさ」というと、大抵周囲にビミョーな顔をされますが、私は割とガチです。かなり上手く自分のこと形容出来てると思う。かっこいいんだか、かっこつけてるだけなのか、いやよく見ればけっこーダサくない?いやいやわりといいかも、みたいな人間でありたいでしょ。所詮そんなもんだ。

 

かなり自分を型にハメてたんだなと思うようになった。昔から"プチ・潔癖性"みたいなところがあったけど、そういうの無くしたらラクじゃん、みたいな気持ちの方が強い。本は背の順で並んでなくたっていいし、携帯の充電器だってほったらかしたまんまでいい。化粧から着替えまで10分もあれば出来るし、だから意外とまだまだ眠れるんじゃない?使ったものはある程度片付ければ十分だし、夜更かししたって朝ちゃんと起きれるよな、私(それは若いからだよ、とか言われそうだが)。

 

無駄を省くっていうところでは、食べるものもどんどん減ってきた。食べる=取り込むだから、無駄に取り込んだ分だけ容量は重くなる、だるくなる。大して食べなくても生きていけるし、全然、必要な分だけでいいよな。そう思って排除しつつある。かなりからだは軽い。だからこれでいいんだと思う。

 

獲得しながら削ぎ落とす、っていう行動がしたくて、試行錯誤してみたり、直感的になんとなく過ごしたりしてる。考える、というよりかは、敏感になって気付く、みたいな感じ。あとは有り余った労力をどんどん行動に移していくのみ。"やる"か"やらないか"なら、いつだって"やる"を選びたい。そんな気持ちです。

 

あとは背筋伸ばしていきたい。その方が断然いい。ね。

 

 

 

from now on

 

 

いざ孤独になってみて、「何もかも捨てたい」と思うのは、ヤケになっているからだろうか。よく想像する。引っ越して、電話番号もメールアドレスも変えて、SNSの類を全て削除する。とことん“ひとり”になって暮らす。その中で見えてくるものはきっとある。きっとあるだろうけど、それを誰に伝えればいいんだろう。

 

人間は誰しも嘘をつくと罪悪感を感じるように出来ていると思う。罪悪感を感じると、それはいつか必ず負い目になるとも思う。大好きな人との関係において、負い目があることはかなり哀しくて、申し訳ない。だから“はんぶんこ”なんだよ。今、この瞬間しか生きられない。私は私の軸を頼りにして、素直でありたいと思う。

 

「やってみればいいさ、やってみればいい。やってみてから後悔すればいい。何怯んでんだよ。全然怖くねーよ。そういうふうに、嘘でも笑えばいい。」「選んでみろよ。選んでみろよ、自分で。その“やる”か“やらない”かを。」