盛れるフィルターを通さない

 

 

 言葉に塗れたくて、色んなものに手を出しています。雑誌、書籍、ブログ、歌詞。気になったものは大体買ったり、時間を取ってのぞいたり。

 

 仕事柄、絵本を読むことが多い。元々大の絵本好きで、書店に行けば絵本コーナーでかなりの時間を過ごしたりする。なんとなく、剪定されるような気がするから。子どもに向けた言葉だからこそ、出来ることがあるんだと思います。

 

 何気なく1日を過ごしてしまうと、なんだか自分が全く駄目になってしまうような気がする。生産していないと堕落していくんだ。そんな風に自分に言い聞かせて、明日は頑張ろう、と思ったりする。

 

 夏に会ったあの人にずっと会いたい。SNSで追いかけたって何も変わらないから、もう会いに行ってしまいたい。「そっち行くんだけど、ちょっと飲みにでも行かない?」と連絡して、そこから遠出の予定を立てたい。バスのチケットを買いたい。

 

 正直、日々の労働で体はボロボロだ。肌は荒れてるし、髪は伸ばしっぱなしでパサついてるし、夏の日焼けもくすみも溜まったままだ。新しい化粧品を最後に買ったのはいつだったっけ。この前久しぶりに服を買ったけど、「着る予定なんてないなあ」だなんて思ってしまっていたような。

 

 ネットをのぞけばみんながキラキラしてみえるよ。恋人とのプリクラとか、新しいカフェとか、シンデレラ城とか。全てが私とは関係ないものにみえる。実際関係ないんだけど、なんというか、縁遠いものにみえるんだ。住む世界が違うって、こんな感じだろうなあって。そこに足を踏み入れないことを選んでいるのは、正真正銘自分自身なのにね。

 

 前ほど頑なではなくなったけど、まだまだだ。手強いぞ、これは。好きなもののことばっかり考えてたいな。

 

 

 

語感

 

 

 空白にだって意味はある。なんてかっこつけた書き出しで始めてはみたけど、なんとなく時間を過ごしたくて画面を立ち上げる午後9時。

 

 2~3週間前、職場で倒れた。なんとか帰ってきて、ベッドの中で色んなことを考えた。それが今に繋がってるって、はっきりと思う。元気でいることがその答えです。まわりの人に助けられて、怒鳴られて、励まされて、諭されて、今に至る。

 

 何が正しいのかばかり考えてきたけど、もうそれには飽きたらしい。倒れたとき、「いつか自分を許せるときがくるよ」と言われてから、何もかもがまっさらになった気がする。良い意味で。選びたいか選びたくないかで、やりたいかやりたくないかで、全てのことに構えばいいのかもしれない。まだまだ分からないけど。

 

 会いたい人もいるし、好きなバンドがアルバムを出すし、友達とスタバの新作を飲む約束もしてるし、割と大丈夫な気がするな。考えすぎて何もかもが遠くて全てのことが途方もないことのように感じていたけど、別に大したことない。そう思ってちょっと笑ったりもする。良いことばかりじゃないけど、嫌なことばかりじゃないし…って考えてたらまたしずんでしまうから、もうおしまい。

 

 なんとなく続けてきたことがいつか何かに繋がろうと、繋がるまいと、どっちでもいいです。書きたいときに書く。期待とは縁がない。安定して暗転。

 

 

 

水膨れが破れて

 

 

 元気でいる、それだけで信じられると思った。自分が元気でいる、それだけで全てのことはまもられるような気がする。誰かが元気でいる、それだけで安心する。好きな人や大切な人なら、尚更。

 

 だから元気にしてくれる人はすごいな。元気でいる人も凄い。もしかしたら本当はこっそり泣いてるかもしれない。辛いのかもしれない、哀しいのかもしれない。でも見せずにいる。それはその人自身の為だったり、その人にとって大切な、誰かの為だったりするんだろうな。

 

 私もそうなりたいな。まだまだこれからです。いつだって笑い飛ばして。

 

 

 

渦巻

 

 

 耳が聞こえづらくなった。というか、自分の発した声や、息を吸ったり吐いたりする音が響いて、物凄い不快感。インターネットで調べればストレスの一言で片付けられて、物凄い苛立ち。

 

 大丈夫と言われて嫌な気持ちになるうちは、余裕が足りてないんだと思う。実際そうだし。朝から活動的に動いても、ゆっくりのんびり過ごしても、この蟠りが消えないうちは、何したってダメなんだ。

 

 思い通りやりたいようにって、口先だけではいくらでも言える。なのにそうならない、そうなれない。それは自分だけのせいじゃなくって、他人のせいだったり環境のせいだったりする。でも選択したのは自分で、なら結局は自分のせいで。そうやって責めることに安心さえ覚えてしまったら、お終いなんだろう。

 

 このままだと、いつか空っぽになる。逢いたい人に逢いにも行けない。みたいものをみにも行けない。私はお前らなんかのものじゃない。

 

 

 

愛よって雪の女王も言ってた

 

 

 ああ、私は土俵にあがれてもいないのだ、と思う。

 

 

 今年の1月末から始めたこのブログは、気付けば開設して半年以上が経ち、記事の数も50件を超えた。世間一般の“ブログ”の意義だとか、そういうものはよく分からない。むしろ、分からなかったから始めた。だって、『思いは言葉に。』ですから。その言葉にまんまと乗っかってしまった。

 

 気付けば社会に出て半年近くが経つ。なんとなく浮き足だっていた学生時代とは、全く違う。というか、違うようになってしまった。保険がどうとか雇用がどうとか、お小遣いは貯蓄に変わり、現実が浮き彫りになるというか、生活が冷たくなっていくような感じ。

 

 もう、逃げたくて逃げたくてたまらない。向いてないなあ、とか、才能ないんだろうなあ、とか考えて、身も心も自ら捩っているような気がする。実際そうだ。

 

 学生の頃からよく思っていたのは、「みんなどうやって生きてんの?」ということ。勉強でも、労働でも、恋愛でも。誰かの真似でもいいから、どうにかして救われたいと思っていた。よくある「誰かと一緒はイヤ」みたいな気持ちがないこともなかったけれど、そんなことより救われたかった。捨てていないようで、プライドなんてとっくにゴミになっていたと思う。

 

 地元を出て、久しぶりに会った人たちはみんなあたたかかった。距離が離れているからこそ愛おしい、っていうのもあるんだろうけど。でもそのおかげで、今側にいてくれる人たちの必要さが分かる。優しさも分かる。大切にしたいと思う。

 

 とっとと幸せになろ、くらいの気持ちでいればいいんだと思う。働いて、お金をもらって、好きな人に会う。美味しいものを食べる。なんにも頑張りたくない。頑張れとも言いたくないし、言われたくもない。ただ、楽しいことや好きなことには全ての力も、時間も、愛も注ぎたいわけです。それが世間一般の“努力”なのかもしれないけど、そんなことに振り向くのは野暮な気がするのだ。

 

 愛がない人になるのだけは御免だ。それだけはずっと揺るがない。無意識に人を傷つけたり、知らず知らずにあらゆる暴力を振っている人間は山ほどいるし、もしかしたら、私もそのうちの1人なのかもしれない。それが酷く悲しいのだ。でも、このままだときっと、私は確実にそうなる。

 

 あとに戻れなくなる前に、今やるべきことを。傷つけられたら泣いてもいい。ちゃんとしなきゃと思っているのにちゃんと出来ないのは、私が私を悲しくさせているからだ。甘いね、ダメだね、全然でしょ、そう言われることが分かっている。このままだと本当に冷えて、動けなくなってしまう。救ってあげるからね。

 

 

 

ずっと

 

 

ばかにされるのを承知で言うと、私は本当に“ずっと”を信じているタチだ。ずっと好き、ずっと大切、ずっと必要、ずっと変わらない。大人に括られる年齢になって、そんなことない、なんてことは重々分かっているし、実際に“ずっと”続かないことだってあったのに。

 

でも信じたいんだと思う。それでも好きでいたい、大切にしたい、必要としていたい、変わらずにいたい、本当に、心の底から。

 

基本的にネガティヴで、頑なで、ダメなところばかりだ。そんな私をそう思わせてくれる人やものがあって、だから私はそこに全力を掛けたい。何度も何度も逃げたいと思ってきたけど、もう大丈夫だって、笑うよ。

 

 

 

酔っ払ってるのよね、だって今日はいい日だったからさ。これからも宜しくね。

 

 

 

 

TITLE

 

 

ただひたすら一日をやり過ごすのに精一杯。直感さえ疑ってかかったりする。そんなことしたって無駄だ。まわりが変えてくれることばかり期待してるのよ。これほどつまらないことはない。愛もない。

 

やったって、話したって、会ったって、駄目だ。眉間に皺を寄せて眠る毎日。疲れたな、辞めたいな、捨てたいな。あの一本の糸が指に食い込むほど張り詰めるような瞬間が、死ぬほど嫌だ。ああ、キライだな、と思う。

 

何かをこなすようになることが嫌じゃないんだから、もっと肩の力を抜いて、別の方法で、違う道で。それから、もっともっと文章が書きたい。